親が子供にしてあげられる事

考えた事

例の事件に続報が…

千葉県で10歳の未来が絶たれた事件に、また続報が入ってきた。

暴行の様子が動画に収められていただけでなく、泣いて謝る所まで収められていたとの事です。

 

それを撮ってどうするんだ…

後で見るのか?

泣いている子供を見て何を感じるのだろうか?

筆者には全く分からない。

 

筆者も一応人間であるから、自分の姫と王子を叱って、泣かしてしまった事もあります。

でも、その時の彼等の顔を思い出すと、心の中にドス黒い渦が沸き上がってくるのを感じます。

「そんなに怒る事だったのか?」「あんなに悲しい顔をさせて何になる?」

親が子供に願う事、それは「その子の幸せ」だと思う。

幸せな時、人は「笑顔」になる。

泣いた顔や悲しそうな顔はその逆だ。

子供が笑うから、親だって幸せを感じられる。



しつけ と 虐待…

「しつけ」と「虐待」の境界線はよく議論に挙がる事ではあると思う。

そしてそれはあくまで当事者の感覚によってのみ決定されるものでもあると思う。

だからこそ第三者がとやかく言う事も難しい問題だとも言える。

だが逆に、第三者だからこそ、「それは虐待だ!」とも言えると思う。

少なくとも、連日報道されているような内容は「しつけ」の域を超えていると筆者は思う。

学校や友達と遊んでいる時、笑顔で遊んでいられるような無邪気な子供に対して、冷たい水をかけて何かをしつける必要があるのだろうか。

冷たい水をかける

叩く

叱責する

屋外に晒す

こんな事をされたら、誰だって同じ目に合わないように気をつけるのではないだろうか。

ですがそれは「しつけている」と言えるのだろうか。

「恐怖で弱者を支配する」のと「しつけ」は違うと思う。

筆者の考える「しつけ」とは、

「自らの善悪の判断にのっとって責任ある行動をとれるように育てる事」だと思っている。

子供はこの善悪の判断がつけられないのだと思っているので、それを教えるように心がけているつもりです。

善悪の判断は自分の心と今までの経験から決まってくると思うが、子供にはその経験が絶対的に足りない。だから親が親の経験からそれを伝えて子供を導く必要がある。

道徳的な事、人道的な事、それを教えながら「一人の人」を育てる。それが大人の使命でもあると思う。

道徳を説く人間が「叩く」「水をかける」なんて事をしてたら、その人の道徳はもはや道徳ではないと言えるのではないだろうか。

分からないから体で分からせるという発想なのか。

それによって身に着いた習慣、習性は、その子供にとって意味のあるしつけになっているのだろうか。

筆者は教育の専門家でもなければ、心理学の知識なんかもほぼ皆無である。

しかし、「叱られる」よりも「褒められる」方がパフォーマンスが上がる。そしてそのエビデンスが高いという事実は存じている。

愛情を持って接する

「愛の鞭」と言って、涙を流して子を叩く。

と言うのなら、まだ少しは、ほんの少しは理解できるかもしれない。

だが動画を撮りながら子供を叱る、これは「愛の鞭」でもなんでもない。

ただの「異常行動」なのではないだろうか。

それがその人の愛情表現だと言われてしまえばそれまでだが…

愛情という感覚も、きっとこれまた自分が受けた事のある感覚でしか計れないものなのかもしれない。だからこそ、愛情の形は人それぞれなんだとも思う。

ただ、愛情を与えた結果が「笑顔」や「HAPPY」であって欲しいと思う。

思春期や物心ついた頃では、それが疎ましく思えて、逆に反発する事だってあると思うし、筆者にも経験がある。でも今なら、あれがあの時の親からの愛情だったんだという事が良くわかる。

それとは違って、自分で善悪の判断もできないような年の子供には、笑顔が返ってくる愛情を与え続ける必要があると思います。

だって泣き顔より笑顔が見たいから。

「甘やかして育てる」と言うのとは違う。何がどう違うかと言われればそれもまた難しいが。

親がしてあげられる事

親が子供にしてあげられる事なんて、数えだしたらキリがない。

だからこそ、一番簡単で当たり前の事をしてあげたいと筆者は思っている。

それは「姫と王子の事が大好きだ」と言い続ける事。

「しつけ」の形や「愛情」の形は人それぞれ。

子供がそれをどう受け取るのかは、子供が親から愛されていると実感できているかどうかなんじゃないかと思う。

だから、もし千葉の事件の子が、親からその言葉をかけてもらっていたのであれば、少しは…

いや、どちらにせよ、小さな命が失われた事実は変わらない。

 

まとめ

何が言いたいか、まとめらなかった。

今回の記事を読み返すと、それって甘やかしの子育てなんじゃない?って思われるかもしれないけれど。筆者も道徳を説く時はそれなりに厳しい姿勢で臨みます。

とにかく「虐待」という事件で小さな命が失われる事件が多くて悲しすぎる。

仕事で疲れている日だってある。

生活に追われてカツカツする時だってある。

自分の時間が欲しくて一人になりたい時だってある。

でも、子供が悪いわけじゃないでしょ?

子供が言う事を聞かない。

子供が騒がしい。

静かで言う事なんでも聞く子供なんて、子供って言える?

虐待に至る背景には、「する人」の心の余裕の無さが影響していると思う。

筆者もそうなりたいと常々思っているが、「子供が何をしたって(人の道に外れない範囲で)、笑って見守っていられる」そんな心の余裕が持てるようになりたいですよね。

子供に「ああさせなきゃいけない」とか「こうでなければいけない」っていう考えを押し付ける前に、「何をしたらこの子は喜ぶかな」って考えるようにしてみませんか?

自分の子供と家族の笑顔より大事なものなんて、ある?



コメント